10代の若者ですので、深い考えはありませんでした。
ただ、江戸時代に出島があり、異国との交易の場が国内にあり、異人や異文化、異なる宗教に寛容で多様化にさらされてきた長崎に若いながら憧れがありました。
「ここなら、俺もやり直せるかもしれない」、そんなかすかな期待のようなものもありました。他の人たちが東京やニューヨークに行くのとあまり変わりないと思います。
平和公園や浦上天主堂は医学部から歩いても5分ですし、グラバー邸や大浦天主堂も20分も電車にのれば着くでしょう。大きな中華街があり、外国人もたくさん居て、国際色豊かです。
実際の入試の配点とか難易度とか、何も考えていませんでした。
これは、当時の時代が許したことで、面接も小論文も試験にはなく入試会場にはヘルメットにゲバ棒を持った核マル派の先輩達が数人立っていたのをよく覚えています。彼らも卒業して医者になった、そんな悠長な学風だったと記憶しています。