私が中学生の頃(今から数十年前ですが)、「この勉強が将来何の役に立つんだーっ」と勉強を投げ出したくなる時がありました。
最近の中学生からも同じことを聞きます。今も昔も変わらないですね。
では、中学や高校での学習が、社会に出てどのような影響を与えているか考えてみましょう。
よろしくお願いします。
例えば、国語という教科は、「設問の指示通りに答える」練習をします。そこでは、自分の言いたいことを言うのではなく、出題者(上司や取引先)が指示した内容を読み落とすことなく答える能力が試されます。
例えば「●●字以内で答えなさい」というような問題でしょうか。
そうです。
社会でよくある現象に「相手の話を聞かずに、自分の言いたいことを言ってしまう」「自分のやりたい事を優先する」このようなタイプの労働者は、社会に出て上司や取引先から、次第に取り合ってもらえなくなります。
設問の指示を読み落とす事なく、過不足なく回答する能力が社会では大切になってきます。
これが中学高校で身に着けるべき国語の能力だと思います。
数学はどうでしょう?
中高の数学の勉強の成果は、証明問題に現れます。
証明問題は、証明のルールに沿って決められた言葉を使って、真偽を証明する能力です。
計算問題だけだと思っていましたが、証明問題ですか。
そうですね。計算問題は「四則演算」これに、かっこ、()、{}という概念が加わり、
その符号の順番に沿って「解」を導く演習です。英語で言う、文法の穴埋め問題と同じで、計算が早く正確な子は総じて英語の文法問題も得意だと思います。
これとは別に、証明問題は、自分の職場や学校での行動を振り返り、時には予想して、
「~よって私のとった行動は社会人に値する。」
「~よって私のとろうとする行動は学校の生徒に値する。」
という仮説の中に、自分の行動を入れてみて、第3者的に自分の正当性を立証できる能力を養います。
英語はどうでしょう?
英語の苦手な人は、主語の無い会話をしたり、単数形と複数形を間違えたり、現在形と過去形を、
進行形と完了形を間違う等のコミュニケーション上のトラブルを起こします。
先ほどもご説明しましたように、英語の文法は算数の計算法則と原理が似ています。
そのため、英語の文法問題を避けると、将来の職場で、「作業指示理解の困難」「情報のとらえ方の障害」、
という事態を招く恐れがあります。
同じ「言葉の勉強」なのに、英語は国語とは少し違うんですね。
では、社会科はどうでしょうか?
社会科は、人々の生活や心の問題など、社会現象に関心をもつ心を養います。
それはわかるような気がします。
ですので、自然に大人になっても新聞を読むようになり、社会全体の問題として考えるようになります
最後に理科はどうでしょうか?
理科は、「どうしてそうなるんだろう?」と好奇心を抱き、自然現象を理解しようとします。
環境問題や地震・津波など地球規模での発想を促します。
ありがとうございました。