昭和2年、福岡県生まれ。日本の医科大学を卒業後、昭和27年、25歳の時に法医学者になることを目指して単身で米国に渡米しました。 米国の大学で病理学と解剖学を研修したのち、昭和36年にカリフォルニア州ロサンゼルス郡の検視官になりました。 検視官になって2年目の8月には、マリリン・モンローの司法解剖をてがけ、その死因を自殺と特定したことで一躍有名になります。
トーマス野口の勤勉で完璧な解剖手技は、数々の事故死の原因を解明し、その功績で、昭和42年に、ロサンゼルス郡検視局長に就任します。
一口にロサンゼルス郡といっても、九州ほどの大きさがあり、その管轄地域にはハリウッドやロングビーチ、ビバリーヒルズを含み、人口900万、年間5000体の遺体が運び込まれる全米一多忙な検視局の責任者ですので、その責務の大きさがうかがえます。
トーマス野口の検視局長としての地位を不動にした有名な解剖に、ジョン・F・ケネディ大統領の弟で、時期大統領候補になった、ロバート・ケネディ上院議員の暗殺事件の検視解剖があります。 昭和43年6月6日 ロサンゼルスのアンバサダー・ホテルで暗殺された、ロバート・ケネディの検視と解剖は完璧をきわめ、その後、銃器犯罪の検視の手本となります。
トーマス野口は、当時、まだ米国でも未開だった銃器犯罪の法医学のパイオニアでした。 被害者の銃創と火薬の種類や広がりから、射撃距離や、犯人の身長、利き腕、姿勢や性別まで識別したので、彼の解剖によって銃器での暗殺が困難になりました。
しかし、それをおもしろくないと感じる人々もありました。それは、ハリウッドやビバリーヒルズに暮らす、有名人や芸能人、富豪や成功した実業家たちでした。
トーマス野口は、良家にある秘密や孤独、家庭の不和に仕事を通じて気づいていました。
親世代に地位やお金ができることで、自分の言うことや考えはすべて正しいと信じてしまいがちになり、そのことで家庭内の弱者が病気や被害者になっていく現象を見抜いていたのです。
後年、法医学者 トーマス野口が法廷で戦った真の相手は、力をもつものにある誤った認知の障がいだったともいえます。
では、10年前に紹介された、トーマス野口博士の映像をご紹介します。 全編で5部あります。
(1) https://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=Icct4_20QUo&feature=related
(2) https://www.youtube.com/watch?v=_rSSjq7EL7Q&feature=related
(3) https://www.youtube.com/watch?v=HdevELAa1oE&feature=related
(4) https://www.youtube.com/watch?v=EM_T99B28Yk&feature=related
(5) https://www.youtube.com/watch?v=ZjcdPbpnsoY&feature=related