昨年は近隣諸国との間で緊張が続いた。
そのことから日々の診療の中でも歴史的な視点を意識するようになった。
わたしの心療内科の外来をおとずれる患者も、また家族も、心に悩みを抱えるが、
そこに横たわる歴史的な事実を丹念に聞き取ることが回復につながる。
主訴は事実をあつかっているのではなく患者の主観にすぎない。その主観に共感し一定の理解を示しながらも、そこにいたる事実である歴史、成育歴や教育歴、職歴、家族の歴史を確認し、社会通念と照らして大局的な見方をしなくては、患者は治らない。
正確にいうと、患者が治るためには、「家族全体の歴史事実」の確認が必要になる。
人が大人になっていくには、たくさんの人には言えない諸事情を抱えながら、生きていかねばならない。その諸事情の抱え方には個人や家族なりの法則が見えてくるものだ。
悩みを抱えない人などは誰もいないし、そこには似たような父や母の悩みがあり、祖父母の歴史が横たわっているのが常である。
最近、墓参りに行くようになったのは、そのことが身に染みてきたせいかもしれない。
墓前で先祖の苦労に思いをはせると、どこかスットして胸のつかえがとれていくのだ。