ADHDの傾向をもつ、お母さんが突出してその特性を表現する場面は、何と言っても、
子どもの部活動でしょう。
必ずやってしまうことは、監督と “ブツカル” ことです。
ボランティアで時間を割いてくださる監督やコーチに対しては、社会の暗黙の了解で何も言わないことになっていますが、ADHDのお母さんは、KY=空気が読めない、うえに、
社会的な立ち位置がわからないため、ついつい “余計な一言” を言ってしまいがちです。
学校や塾ではありませんので、事故責任を負う監督からしてみれば、『だったら辞めたらいかがでしょうか。』 となるわけですが、それに近いことを言われると、ADHDのお母さんは、“ケシカラン” と “マジギレ” してしまい、役員のお母さんがたを巻き込んで騒動を起こしてしまうのです。
他のお母さんにしてみれば、我が子の指導をしてくださる監督は大切ですので、ADHDのお母さんは結局敗訴し、部活動への出入りも事実上禁止されますが、一番の被害者は子どもです。
得てしてADHDのお母さんは、子どもの部活に過度に 『熱心』 で自己流の概念があり、特別扱いを期待しています。 その子どもは、スポーツのセンスも良く、競技も監督も好きなのですが、親の都合で競技の継続が困難になる傾向があります。 周囲とうまくやれないお母さんの子どもは、世間が狭くなるため、子どもの進路が狭められる傾向がでてきます。
正常発達のお母さんの場合は、誰に習わなくてもごく自然にこのような “物の道理” や流れが、感覚的にわかっているものですが、ADHDのお母さんは、誰かが教えてあげないと
“よくわからない” と言われます。
そのため、部活動によっては、やさしいお母さんが、ADHDのお母さんの話を聞いてあげているものです。やさしいお母さんは、ADHDのことは知りませんが、“〇〇ちゃんのお母さんは本当はとても正直な人で、建前と本音を使い分けない人なんだわ” とよく理解しており、
外からはどう見えるか、どうしたら良いかを、さりげなく教えてあげているものです。
月と子どもの写真(1)