この年末年始は、昭和12年に井伏鱒二が書きおろした『ジョン万次郎漂流記』を読みました。 この作品は昭和13年に第6回直木賞を受賞しています。
ジョン万次郎は、幕末の1827年 現在の高知県土佐清水市に生まれました。1841年1月、14歳の時に仲間とカツオ漁にでて高知県沖で嵐に遭い、鳥島という無人島に漂流しました。 孤島で5か月間を過ごしたのちアメリカの捕鯨船に救助されます。
この土佐出身の若者は、アメリカで教育を受けた後、10年ぶりに帰国しますが、川田小龍(かわたしょうりゅう)という絵師が、土佐藩参政の吉田東洋の命により取り調べ、その内容を『漂巽紀畧(ひょうそんきりゃく)』という本にまとめています。
同じ土佐の生まれで、ジョン万次郎より9歳年下の坂本龍馬は、ペリー来航の翌年1854年、18歳の時に、坂本家と親しかった川田小龍自身から『漂巽紀畧』を聞いて大きな驚きと感銘を受けています。
ジョン万次郎は、海外の進んだ文化と捕鯨・海運技術、国際情勢を我が国に持ち込むために帰国しますが、それを正確に絵と文章に訳した 川田小龍と、頭の中で噛み砕いて行動に移せた坂本龍馬のバトンタッチは意外に知られていません。
ジョン万次郎は、生家の貧しさから読み書きができないまま出国し、日本に帰国した時にはすっかり日本語をしゃべれなくなっていたと言います。 たいへんな努力家で、日本の奉行所の取り調べに対し英語で次のように述べています。
“ I swore to my mother that, no matter what happened, I’d learn to make a good living at sea, and never give up.”
「どんなことがあっても、1人前になるまで、絶対にあきらめない」と。
アメリカ独立戦争(~1783年)の面影が色濃く残る、ニューイングランドの田舎町に住み、自由と独立、法のもとの平等と個人の尊厳という気風を肌で感じた、ジョン万次郎のメッセージは、坂本龍馬とよく似ており、攘夷や鎖国とは異なる清々しさを我々に感じさせるのはそのためでしょうか。 ジョン万次郎は 明治31年11月12日 72歳で亡くなられています。