気づいたら、ずいぶんたくさんの不登校やひきこもりの子ども達を診てきました。いつの間にか、この4年間だけで400名以上の子ども達の話を聴いていました。このことは、とりもなおさず400人の母親の話を聴いたことにもなるのでしょう。
なかには、すっかり見違えるように元気になって、高校や大学生活を送っている子どもさんもいれば、不登校からひきこもりに進展し、そのまま自宅にいる子どもさんの報告も聞きます。
不登校やひきもりは、その存在自体は、社会に迷惑をかけるわけでもなく、罪や叱責の対象でもないために、家庭や学校の中の問題として、潜在性に進行していくのが特徴です。
かつて、ハーボ・エイノーラ博士が述べた、
“病まなくてもよかったのに病み、
誤診され、誤った治療をされる”
“潜行性で人格を荒廃させる文明病”
“単純で安全で効果的な治療法があるが人はそれに気づかない”
この詩(うた)は、まさに不登校の児童・生徒そのもので、いったん、卒業や中途退学すると、学校との縁がなくなり、ますます家庭の中の問題になってしまい、しだいに誰の手にも負えなくなる傾向を示しています。
わたしの経験から不登校は、15歳から18歳までに治しておかないと、40歳まで続く社会不適応の原因になる可能性があると、少なくとも臨床現場からそう信じるようになりました。
例えば、ほとんどの親子は、もはや子どもが学校に行きたくない、行けないと言っているにも関わらず、(言わなくても、お腹が痛くなり、頭痛やパニック発作がおきていても)決して転校しようとも、学校に行こうともしません。
「せめて高校卒業証書だけは」と願うのでしょう。しかし、学校は出席日数が不足している生徒さんを進級させることはできないのです。
つまり、行かない、行きたくない、にも関わらず、学校にしがみついているかのような構造になると、子どもの自尊心は完全に下がってしまい、あたかも、鬱(うつ)のような状態になり、不眠や視線恐怖を訴えるようになります。この現象に例外は少なかったように思います。
「環境を変えて一からやり直す」「親から離れてしばらく自分を見つめなおしてみる」こんな単純なことを親子で躊躇したために、何年も遠回りし、老後の蓄えも失うくらいの出費をかさねてきた親子が、どれほど多いことでしょうか。
中には、デパートの定休日のように、定期的に、あるいは不定期に学校を休む子どもさんもいるでしょう。しかし、よくよく考えてみると、それを治さないままに学校を卒業したとしても、会社が雇い続けることは難しいのです。
中学~高校で学校を休みがちな傾向は、実は社会に出ても、仕事が長続きせず、離職率の高くなる傾向があり、人間関係の不得手と経済的困窮から、独身率の高さ、離婚率の高さに結びつきます。このことは、子どもの生涯にわたる問題になるとともに、前期社会保障の問題ともいえるでしょう。
不登校やひきこもりを経験した子どもさんや、傾向的に、学校を休むようなお子さんでは、すでに今の学校からペースダウンすることが必要になっています。
新幹線や特急で行くのも、鈍行(どんこう)列車で行くのも、目的地への到達時間は、実は、たいして違わないのです。人生に置き換えれば、若い時の1~2年の遅れは、40歳を過ぎれば、大した差ではないのです。 人間は、遅れた分、深くなれば良いわけで、むしろ確実に勉強を理解し、自分のものにして、将来の夢や職業に必要となる、資格試験や大学試験にしっかり合格するのです。
そのために、集中力を上げる、勉強時間を伸ばす、机についている時間を伸ばすことが大切になるでしょう。量には必ず質がついてくるのです。学習時間を伸ばしていく生活習慣の延長に試験の成績はあり、その延長に、入試の合格はあるのです。 医療のお手伝いとは、つきつめれば、子どもの集中力を上げ、記憶力を増し、勉強をしやすくすることになるのでしょう。
エジソン、チャーチル、アインシュタイン、多くのノーベル賞学者は元不登校だった子どもたちです。彼らと何が違うか? 彼らは勉強し、不登校であっても決して低く見られないようにしたのです。