インターネット上の書き込みに対して名誉棄損罪が活字や放送メディアと同じ程度の厳しさで適用されるという判断を最高裁が示した。 ネット空間にも法律に基づいた社会のルールを適用するという考え方を示したものだという。 *
ネット上のトラブルは急増しており、インターネット上での中傷書き込みは、若者のみならず大人の間でも深刻な問題となっている。 そのために、2009年に警察に寄せられた中傷被害は1万1千557件といい、2008年に法務省が人権救済の手続きに乗りだした事件だけでも515件になるという。 その結果、誹謗中傷した人が特定化されることで、書き込みをした人が苦しむケースも増えている。
わたしの外来でも、自分の所属する学校や寮、会社をネット上の掲示板や書き込みサイトで中傷したことから、学校や会社におれなくなるケースが後を絶たない。 相談者は口を揃えて『こんなことになるとは思いませんでした』という。 匿名であっても、書き込み情報は発信者の責任になることに気づかなかったのだろうか、重く悲しい面談になる。 友人がいない、他者との良好な人間関係を築けない、社会的に孤立した、やや未成熟なおとなに多いようにも思える。
最近では、会社からの相談も増えてきた。 社員がネット上で自社の悪口を書き込んでいるが本人にどう話したらよいか。 2002年に施行されたプロバイダー責任制限法では、被害者はネット接続事業者に発信者の情報開示を求めることができるため、弁護士か警察を通じて連絡をすれば書き込んだ人物の特定は難しくない。
しかし、こころの医療の側面からは、本人に知らせることは勧めていない。
アメリカの社会学者リースマンは、その著書『孤独な群衆』のなかで、匿名性の高い情報発信の背景に、他人の意見に従って行動する他人志向型の大衆像がみられると分析している。 “普通(ふつう)”でありたいという他者評価を基準に生きる現代人では、自分や家族がもしかして普通のレールから外れてしまうのではないか、という強い不安や焦り、孤立を恐れる気持ちをいだいており、そのため自分も他人と同じである必要があるのだという。
問題の解決法として、人間性を高める教育がおとなにも子どもにも必要になっていると思える。 年齢相応のソーシャルスキル(社会性)を身につけることや、考えかたの幅広さと感受性のしなやかさ、コミュニケーション能力が大切になると思う。 社会的に孤立していく若者や家族に対しては、他者とのつながりの中で自分を見直すことを提案するようにしている。 他者の気持ちを察する、もっと他者のことを知ることで、誰もがなんらかの苦しみや悩み、挫折感、焦燥感を抱いていることを共有できれば、人間としての共感も沸いてくるのではなかろうか。 そのことは、人は人との交わりのなかで、集団のなかで、お互いの良いところを伸ばしていくもので、他者を見つめること、理解すること、他者への関心を持つことで、はじめて自分自身の価値にも気づくものではないのだろうか。
* 最高裁判決文 URL: https://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100317094900.pdf
* コラムの作成にあたり法律部分は大分県中津市の山本洋一郎弁護士に一読いただき、統計数字ついては西日本新聞3月22日の社説と朝日新聞3月17日の社説から引用しました。 リースマンの著書紹介と社会病理については大分県竹田市在住の英語教育者、フィル先生の意見を参考にしました。 フィル先生は、スロバキアのサファリク大学にアメリカ政府のフルブライト教授として初めて派遣され、その後1983年から3年間は、アメリカ・ペン・クラブ(ニューヨーク)で人権と言論報道の自由のための活動をされています。